トップページ>>和光青年会の歴史>>らふてーずJr.賛歌

らふてーずJr.賛歌

卒業しても
先生 もっと踊り続けたいと願う 子どもたちがいた
子どもといっしょに もっと踊りつづけたいと願う 先生たちがいた
子どもの願いを真中に 踊りを支える 親たちがいた


月に一度の踊る会
それぞれ進学した学校は違っても エイサーで 古巣に戻る子どもたち
それぞれ出身小学校は違っても エイサーで 結ばれる子どもたち
子どもたちは踊りに没頭した


エイサーを踊ってくれませんかと 声がかかるようになった
春の小田急線高架線下広場の開所式で
夏の経堂商店街のまつりで
秋のすずらん通り商店街の祭りで
学校の沖縄フォーラムのイベントで
町田市のエイサー祭りで
いつのまにか引く手あまたの 和光エイサー集団
らふてーずjr


凛々しさ と 艶っぽさ
小学生の 親たちの 地域の人たちの
憧れのまなざしが 見つめる
「和光青年会」という名にふさわしい


来年は、沖縄学習旅行20周年
21年前(1985年夏) 旅行計画作成のための下見した
平敷屋の青年会を訪ね エイサーを教わった
夜の10時から始まった練習
青年たちと泡盛を酌み交わした


総合学習「沖縄」が始まった(1987年度第1回学習旅行)
沖縄を学んでいるのだから
和光でも エイサーをとりいれたいと 声があがった
しかし その道は 平坦ではなかった
「6年生の踊りは“御神楽”だ」と 子どもと親から強い声
16年前(1990年度のいちょうまつり)に
和光小エイサーは 有志の踊りとして 始まった


沖縄学習旅行の夜 園田青年会のエイサーがやってくる
“生”で見る現地の踊り 迫力に圧倒される
いっしょに踊る 子どもも 教師も
踊るほどに エイサーの魅力に ひき込まれた
親たちの期待も 高まった
教師が エイサー集団「らふてーず」をつくった
そのジュニアとして らふてーずjrが 誕生した
いまでは 教師を はるかに追い抜いている


いま
学校の文化となった 和光のエイサー
地域と学校をつなぐ文化となった 和光のエイサー
和光青年会 らふてーずjrの魅力に
励まされる人々の輪が広がっている


青年は未来をつくります。
青年たちの凛々しさと艶っぽさは、私たちに未来への希望を開いてくれます。
らふてーずjrの踊りをみると、和光の沖縄学習に歴史の重みを感じざるをえません。
また和光で育つ子どもたちの姿に確信を与えられます。


2005年10月3日

和光小学校校長 行田稔彦